フェルガナ盆地の名所情報


世界の中心地と言われるフェルガナ

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フェルガナ市
フェルガナ盆地は帝政ロシアの軍に築かれた新興の町です。建設当初は新マルギランと呼ばれたが、1924年なってこの地方全体の呼称からフェルガナの名が採られました。フェルガナはまた、緑の町とも呼ばれる町なかには運河の水路が走り、豊かな縁を育んでいる。街路は帝政ロシア時代の要塞を中心に通りが放射状に真っすぐ延び、建物が並ぶその整然とした町並みから、タシケントの小さなコピーと呼ばれることもある。町にはロシア人が建てた建築がある以外、特に面白いといった見どころはないが、町全体明るい雰囲気があってフェルガナ盆地を訪れる旅人がフェルガナ盆地のホテルを使う。フェルガナに駅はないが隣町のマルギランにある。マルギランの駅前か、あるいはバザールからフェルガナ行きのバスが多いが夜7時を超えるとタクシしかありません。

フェルガナ郷土博物館
フェルガナ盆地についての自然や歴史、孝業、風俗などの展示が薯富。特に歴更分野では、この地方ならではの遺跡や出土品に関する展示品が多く、興味深い。フェルガナ盆地全体の立体図も、フエルガナの地理的特徴を理解するのにお役に立つと思います。

フェルガナ市の特徴
フェルガナ盆地全体とても保守的で、イスラム教を信仰している人も多いですがフェルガナ市はとても開放的で、町全体はヨロッパの感じをしています。フェルガナの人たちのファッションも最新の流行に近いと言えます。

マルギラン市
マルギランは古い歴史を持つウズベク人の町。かつてはシルクロード交易の要衝として栄え、シルクの生産地としても知られていた。20世紀まで約200のモスクやメドレセがあったというが、ソ連時代にほとんどが取り壊され、町のメイン通りなどの外観も近代化されている。町の中心は、活気があるバザール。そのバザールとマルギラン・ホテルのある交差点から、プルハネッディン・マルギラニ通りを東に進むとバスターミナルがあり、その先に2つの高いミナレットが見える。奥には美しく彩色された木造のモスクがあるので中は面白くてぜひご覧ください。マルギランはシルクの産業が盛んで、今もウズベキスタン国内での生産量を誇る。この辺りの道路沿いに桑の木が植えられていてシーズンになったら桑の葉を家に持ち帰り、蚕を育てる農民の姿がよく見えます。

コーカンド (クコン)
コーカンド(現地の発音ではクコン)が築かれたのは 1732年、ブハラ・ハーン国から独立したコーカンド・ハーンの首都になった。央アジアではブハラに次ぐイスラームの宗教と貿易の中心になった。19紀初頭からコーカンド・ハーン国の領上拡大が始まり、フエルガナ盆地全域をはじめ、西はタシケント付近、北はカザフ草原の南分に至る地域を支配し、中国領新彊にも影響を及ぼした。しかしその拡大がシベリアから南下を続ける帝政ロシアの注意を引くことになって、 1852年の紛争をきっかけにして、ロシア軍は北からコーカンド・ハーンの領土を蝕み、1868年の不平等条約で独立を失われてしまう。国内では多くの反乱が始まり、1875年、時のフダヤル・ハーンはロシア側に亡命し、翌年には帝政ロシアに吸収され、コーカンド・ハーン国は瓦解しました。

日本人墓地
コカンド市内にロシア正教の広大な墓地の真ん中日本人抑留者のお墓があります。ウズベキスタン国内に一番大きいかもしれません。

フダヤル・ハーン宮殿(現地の発音でフドヨール・ホーン)
1863 年から 10 年の歳月をかけて造られた、コーカンド・ハーン国最後の支配者フダヤルの豪華な宮殿。現在は郷十博物館として文化、歴史資料などが展小されているが、建物自体が最も興味深い展示物といえる。もともと112あった部屋のうち、23が今まで残り、内装が修復されている。

ノルブタベイ・メドレセ
イスラーム学習者の姿でいつもにぎわっているノルブタベイ・メドレセの左手の墓地の中にモダリ・ハーン霊廟とダフマイ・シャーハーン廟があり、昔からの有名な巡礼地です。ノルブタベイ・メドレセの人たちはいつ親切に入り口を開けてくれてメドレセの中庭もご案内してくれる。

リシュタン町
フェルガナ市から約50キロメートルを走りキルギズとの国境の町。昔から陶器の職人の町として知られています。現在も独特なリシュタン模様の皿と茶碗が国内で有名です。


コーカンド宮殿のホームページはこちらから



コカンド・ハーン宮殿の中庭

マルギランのシルク工房

マルギランの帽子屋

フェルガナ大学の前

フェルガナ大学の前

コカンドの旧市街の青年たち

コカンドの旧市街の仲間たち