タジキスタン一般事情
・正式国名 タジキスタン共和国
・元首 イママリ・ラフモノフ大統領
・面積 14万3100平方キロ(日本の役4倍)
・人口 620万2000人(2001年推定)
・首都 ドゥシャンベ(人口56万2000人)
・民族構成 タジク人65%、ウズベク人25 %、口シア人3,5%など
・宗教 タジク人がほとんどがスンに派のムスリム。東部山岳地帯にはシーア派イスマイールが多い。ほかにキリスト教の口シア正教など
・言語 国家語はタジク語。公用語は ロシア語
・国土 「太陽の麓の国」と呼ばれるタジキスタンは、国土の93%が山地に覆われ、その半分が標高3000m以上となる、まさに太陽の間近にある高原の国である。東部はパミール高原に占められ、サマニ峰(旧コミュニズム峰)、ガルモ峰(旧レーニン峰)など7000m級の山々が見られる。そこにスム動植物もバラエティに富み、鷹や豹等います。
・時差 GMT + 5で、日本との時差は4時間送れとなっています。
・気候 タジキスタンは大陸性気候で、夏は乾燥し、秋から春にかけて降雨量が増えます
。 ・通貨 1000\=28ソモ二、1$=3ソモ二(2005年9月21日レート)
・電圧とプラグ 220V、50Hz, Cタイプ。
・郵便 ー般の航空便郵便は、アルマトウから日本まで2週間ほどかかることもあります。
・ビザ 必要
・祝祭日 1月1日−新年、3月8日−女性の日、3月20~22日−ナウルーズ、5月9日−戦勝記念日、9月9日−独立記念日、11月6日−憲法記念日
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タジキスタンの主要都市
ドゥシャンベ
タジキスタンの首都で、ヒッサール谷の中心に位置し、海抜800m。雪を頂くヒッサール山脈は町の北東にそびえ、南はカフィルニガン川が流れています。「ドウシャンべ」とは、タジク語で「月曜」の意味で、昔、毎週月曜に市が立っていたのが町の名前になりました。小さな町でしたが、1929年、ソ連のタジキスタン共和国の首都となり、ソ連的な近代都市にが建設されました。住民もロシア人を中心とする移民が多かった。1991年のソ連崩壊を機に独立したものの、内戦が続いていた。現在は内戦も終わり、徐々に治安もよくなっています。
町並みはいまだにソ連の都市計画を色濃く残しているが、公園や通りの名前も変え、新しい国作りが軌道に乗ったとごろだ。トロリーバス、バスなどの発着でにぎわっているドウシャンペ駅前にアイニー広場がある。タジク文学の創始者で小説家、詩人、建国最初の利学アカデミーの院長でもあったアィニーを記念した広場です。
アイニー広場の向かいにある時計台の白い3階建ての建物が、民俗、郷土資料が豊富なタジキスタン総合博物館である。パミール高原に生息する動物の剥製が飾られ、今では生存があやぶまれているユキヒョウの姿も見えます。 市内には見逃すことのできない博物館がもうひとつある。古代民族博物館だ。べンジケントの壁画、ギリシア時代の女性像、12mの湿聖像は特にすばらしい。湿盤像は発掘された当時、世界で最も西にある仏教遺跡と話題になった南部のクルガン・チュべ仏教遺跡から発掘されたもの。歴史の好きな人にはまるで宝庫のような博物館だ。また売店ではきれいな絵ハガキや本、博物館のカタログなどを販売しています。
イスマィール・サーマーニ公園に建っているのがイスマイール・サーマーニ像。アッバース朝アラブの厳しいイスラーム支配に中央アジアの各地で反乱が相次いだ9世紀後半、テルメズ出身のイラン系豪族のサーマーン家はイスラームに改宗し、ソグディアナの統治権を与えられた。そこでブハラを首都にサーマーン朝(874~999年)を興したのがイスマィール・サーマーニだ。10世紀に4世代が栄えたが、西進してきたカラハーン朝に取って代わられた。ブハラにサーマーン朝の王族の霊廟があります。
ドゥシャンベの歴史考古学博物館
タジキスタン最大の博物館として、国内で発掘された古代、近代の多種多様な出土品の展示、収蔵を行っています。1966年に発見された涅槃仏像も世界中から注目を呼んでいます。仏像の修復プロジェクトが日本のODAからも援助されています。
涅槃仏像の発見と修復
1964〜1966年にリトヴィノフ教授はタジキスタンの南部にあるアジーナテペでその仏像を発掘しました。( ワフシュ川の盆地にあるクルガンチュベ町の周辺 ) その仏像とお寺は7世紀にアラブ人に破壊されてしまい、20世紀までうまっていました。
発見した時は仏像の体はばらばらとなっていましたので展示をできませんでした。2001年からエルミタージ博物館の専門家たちはタジキスタンにきて修復を始めました。3年もかけてフォミニフ教授が修復を行いました。
ドゥシャンベの歴史考古学博物館の涅槃仏像
ドゥシャンベ近郊
ヒッサール(ギッサール)要塞は、ドウシャンべから西へ25kmにある城塞。ブハラ・ハーンの知事の住居跡で、堅固な城塞の中には、池や庭園、市場、キャラバンサライなどがあって栄えていたというが、今は城塞内に放牧された家畜と、のんびりした雰囲気です。
ソ連成立前の抵抗運動バスマチの根拠地となったため、口シアの赤軍に大規模に破壊された。城門は修復され、門前には樹齢500年を越えるプラタナスの巨木があり、信仰のシンボルとしてたくさん布切れが結ばれている。道を挟んだ城門の向かいには、メドレセがあり、博物館になっています。
ドウシャンべからヴァルゾフ川に沿って行くとすぐに都会のにぎわいは消え、やがてヴアルゾフ渓谷の避暑地が始まる。点々と集落があり、別荘もあります。川沿いにアイヴァンが設置されており、食事をしたり休んだりすることもできます。川を渡り山に登れば温泉保養地ホジャ・オビガルムがあるが、さらに高度を上げながら谷間を進んで行くと、力ーブを曲がるたびにヒッサール山脈の雪を頂く山が見えるようになる。両側の山の斜面には薬草が生え、奥に滝が見え、雪渓が間近に見えて深山気配が強くなります。ぐるりと取り囲む雪を頂く山々の大斜面に緑が広がり、村落が点在しています。谷底のトのほうには、ポプラがあり、川が光って流れ、学校らしき建物も見える。前には、3372mのアンザーブ峠へと上っていくつづら折りの道があり、ペンジケントやホジャントへと続いているこの道は例年5月末にならないと開通しません。
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ホジャント
タジキスタン第二の都市ホジャントは、レーニナ州の州都で北部の中心地。ドゥシャンべとは山脈で隔たれたフェルガナ盆地にあり、農業、工業ともに発展した豊かな都市である。ドゥシャンべから車で行く場合は、海抜3372mのアンザーブ峠を越え、断崖の道を海抜1400mのアイニーの町まで下り、また上って海抜3378mのアイニー峠を越えるという非常に厳しい371kmの山道を通るが、険しい分、すばらしい自然が見られます。
町の中をシルダリヤ川がゆったりと流れている。タジキスタンでは最も古い歴史のある町で、2500 年以上前、アレキサンダー大王が建設した町のひとつでもある。モンゴル襲来で大きな損害を受けたが、18世紀以降もシルクロードの重要な交通の要所として栄え、特にパンシャンべ・バザールは中央アジアで最も大きく、今でも当時のにぎわいを坊沸とさせる。「パンシャンべ」はタジク語で「木曜」という意味で、毎週木曜に市場が開かれていたために付いた名前です。
ペンジケント
アンザーブ峠を越え、アイニーの町から西に折れ、ザラフシャン川に沿った谷間を行くとペンジケントだ。ペンジケントはウズべキスタンのサマルカンドから約6kmと近いので、観光はサマルカンドから行くことが多い。
町の南の台地にソグド人の古代都市遺跡が広がる。1933年に羊飼いが見つけた資料をきっかけに発掘されたのだが、8世紀の7ラブ米襲のとさ住民が町を放棄したままの状態で、古代都市の原形を残しているので、「中央アジアのポンペイ」と呼ばれています。8世紀の遺跡の下には5世紀の町があると言います。メインストリートに商店、住居が並び、拝火教の神殿、宮殿があったというが、説明を聞いてかろうじてわかる程度で、風化したレンガの壁が少し露出しただけの広大な丘です。
今のペンジケントの町、ザラフシャン川が見渡せ、ザラフシャン山脈とトウルケスタン山脈に囲まれたのどかな場所です。
ここで発掘された色彩鮮やかな貴重な壁画は、サンクト・ペテルブルグのエルミタージュ美術館やタシケントの歴史博物館に保存されているが、地元のルダーキ記念・歴史郷土博物館にも展示されています。小さな博物館だが、壁画、陶器の水道管、烏葬用の骨壷のオスアリなど興味深いものが多い。
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